富士見坂
どこから見ても
富士が見えたら
そんな名前など
付くはずもない
朝には米を磨ぎ
昼には着物を畳み
夕には豆腐を買い
そうした合間の中で
うっすらとてっぺんが見え
まるで自分が聖人にでも
なれたような気になり
そうした空気を吸って
日々の血液に取り入れ
ただの急な坂道が
特別になってゆくから
どこから見ても
富士が見えては
いけなかったのだ
生きるのはなぜ苦しいのだろう、つらいのだろう。いや、だからこそ喜びを感じ得るのだ。闇があるから光が分かる。この世はあなたが必要だ。感情回復『詩的ぶるぅすメソッド』申込はメッセージフォームから。
イメージを楽しめる人へ
富士見坂
どこから見ても
富士が見えたら
そんな名前など
付くはずもない
朝には米を磨ぎ
昼には着物を畳み
夕には豆腐を買い
そうした合間の中で
うっすらとてっぺんが見え
まるで自分が聖人にでも
なれたような気になり
そうした空気を吸って
日々の血液に取り入れ
ただの急な坂道が
特別になってゆくから
どこから見ても
富士が見えては
いけなかったのだ
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